子どもたちは今 ~子どもたちの声~

2016年度 年次報告(2016年4月1日~2017年3月31日)

2016年度年次報告 子どもは本当に変わってしまったのか

 「友だちが欲しい!」と泣いて訴えてくるほど子どもたちは友だちを欲しています。「友だちを作れない!」という悩みと共に。
子どもたちは、友だちは「いなければならないもの」という脅迫観念に取りつかれているのかと疑いたくなるほど、友だちがいないこと、そして作れないことは大問題です。


 かつて友だちは作るものではなく、関係性の中で結果的にできていた…。つまり殆どの場合自然に友だちになっていたように思っています。勿論昔も今も、友だちがいることは大事なことでありたのしいことです。友だちとの関係は、子どもの発達に大きな意味をもっていることも変わりないと思います。そういう意味に於いては自然に友だちになっていた、と云っても友だちを欲しいと思う気持ち、友だちの存在への欲求は同じであるといえます。にも拘わらず土台を同じくしながら昔と今の状況の違いが生じるのは何故(なにゆえ)なのか、と考えてしまいます。


 便所飯という言葉があります。一人でお弁当を食べていていじめの対象になるくらいなら、お手洗いでこっそり昼食を取る。考えただけでも食欲が失せるような選択をする。それほどまでに友だちの存在を必要とする子どもの心の背景にあるものとは…?と考えたとき、子どもたちの電話からいじめは下火になってきていると感じるものの、それでも尚いじめは永遠の課題であり、その問題は横たわっていると考えられます。又、家庭も社会も友だちはいて当然、いなければならないと思っていないでしょうか。いい子を求められている子どもたちにとって、それがプレッシャーになっていない、と云いきれるでしょうか。「チャイルドラインのおばさんたちすぐ友だちに相談してみた?って云うよね」と反撃を受けることがあります。電話で話を受けている側の価値観が無意識に顔を覗かせるときです。反省です。友だちがいないことを恥じとする気持ちや、格好悪いととらえざるを得ない心のありようを、子どもの電話は教えてくれます。そうであるなら、友だちを求める気持ちに利害が手伝っても、あながち責められないそんな気持ちにもなってきます。


 育ちの中での人間関係の貧困、云い換えるなら限定された非常に狭い関係、例えば生活(くらし)の中で接する大人が親と先生だけの世界だったり、実体験の場が保障されていない現状を、私たちはそんなとき強く意識させられます。
子どもの世界から遊びが失われて久しく、その事実は私たち子どもは本当に変わってしまったのかの想像を遥かに越える勢いをもって、子どもの心のありようも身体の発達をも蝕んでいると、実感するときでもそれはあります。


 自分の子ども時代を振り返ったとき、遊びに明け暮れているのが子どもと定義できるほど、生活(くらし)の中に「遊び」があったと記憶が教えてくれます。遊ぶことに私自身が目的や意図があったとは到底思えず、「遊びたかった!」だけ。嫌な事も時にはあったけれど、大抵の場合それはわくわくする「たのしいこと!」だったから。あくまでも結果論ですが、只々みんなでひたすら走りまわったことも、鬼ごっこも縄飛びもすべて、遊びのすべてが私の身体能力の基本を造っていたのだと思っています。


 遊びとスポーツの違いは?と問うなら正しくこの部分、身体の一部分を中心に使うスポーツと、身体全体を使っていく遊びとの本質の差、そして更に決め事の反復練習なのか創造性が保障される場なのか、つまり子どもを客体にしてしまうのか主体者にするかという両極に位置する大差。と云えます。両者が以て非なると云われる所以であると思っています。


  今泣いた子(鴉)が、今喧嘩していた子がなんで仲直りのために謝ることができるのかといえば、それは一緒に遊びたい一心から。この仲間と。いろいろ思うことはあっても、だか ら自分の感情に折り合いをつける。少なくとも自分はそうだったと記憶が甦ります。怒りや我まんなど自分の感情のコントロールである折り合いは、誰かにさせられるものではなく、自ら主体者として自己選択していくものなのに、今子どもをとりまく環境は、それを学ぶチャンスを皆無に等しくしています。
一度拗(こじ)れてしまった友だちとの関係の修復の難しさ。そんな悩みを訴えてくる子どもの声にそう思います。我慢のなさも学びの場が失われたことに起因していないなど、どうして云えましょう。


 コミュニケーションの問題も、先述の限定された人間関係ではなかなか豊かに発達させられないと考えます。家庭の孤立化はそのまま子どもに投影され、今や子どもにとって当たり前である一人一人の違いは魅力ではなく、警戒の対象にすらなり得るのかもしれないと感じています。


子どもは本当に変わってしまったのか ―


子どもに長年かかわり続けた私たちは否!と云い切ります。
子どもは社会の写し絵。社会のあり方が子どもを変化させてしまっているのだと。

電話から聴こえてくる子どもの声

「友だちがいない。どうやって友だち作ったらいいですか?」こんな電話がかかっています。
「友だちは大事だよ」「友だちいないの?」と小さい時から周りの大人に言われ続け、子どもたちは友だちはいなくてはいけないものという考えにとらわれています。自分をこれでい いと思えず、自分をそのまま表現できないでいます。そして、不安感を募らせます。その結果、自己を確立することができずに、他者との関係性が作れないことに悩んでいます。

「学校に行っていない」「学校に行きたくない」と話す電話がたくさん入りました。いじめにあい学校にいけずこの先に対して不安を感じているなど、さまざまに苦しい状況や気持ちを話しています。「子どもは学校に行くのが当たり前」という考えが「不登校」という言葉の土台にあります。一人一人の子どもが安心していられる場所で自分らしく学ぶことができる多様な場を保障することが大切かと思われます。

今年度は“ 貧困” についてのはっきりとした発信がありました。それはここ数年“ 子どもの貧困” が社会問題としてメディア等で取り上げられ、子どもの意識にあがったことも一因と考えられます。「お金がなく食べるのがやっと」「家が経済的に不安定。将来が不安」等、親にも身近な人にも話せずにいた不安な気持ちを聴いてほしいとかけてきます。子どもの貧困は、子どもの権利を脅かす大きな問題です。子どもからの訴えを声に出せるのは、子ども専用電話だからこそではないでしょうか。

「性」に関する電話はたくさんかかってきます。その中には、性被害や、妊娠の不安についてかけてくる女子もいますが、多くは男子からの、性器や性行動についての相談です。
最近は自分の性自認や性嗜好についての相談も多くなってきました。また、交際をしていく中で、いつどのように性行為をしたらいいのかという相談もあります。こうしたことから、具体的で分かりやすい性教育の必要性を強く感じます。

子どもたちは気付かないうちに親の思い通りに誘導され、あたかも自分が思っているかのように錯覚しているようです。親は子どものことを何より考えていると思い込み、真綿で首を絞めるような「優しい虐待」をしています。親は自分のエゴを子どものためと勘違いして子どもに押し付け、子どもはその親の思いに応えていくうちに「偽りの自己」を形成してしまうのではないかと思われます。その中で子どもたちは、自分が無くなってしまうのではないでしょうか。

2016年度 子どもの声を受け止める

子ども専用電話「チャイルドラインMIE」・「こどもほっとダイヤル」の電話データからみえる子どもの状況

「チャイルドラインMIE」の報告

チャイルドラインは、全国70の団体がネットワークを組み実施している子ども専用電話です。
三重県では毎日実施できていませんが、実施のない時間は開設している全国のチャイルドラインで受けてもらっています。2016年度チャイルドラインで受けている三重県発信の電話は3540件ありました。
※使用データは、チャイルドライン支援センターのデータベース(2017年3月31日までに入力完了データ)を使用しています。

「こどもほっとダイヤル」の報告

三重県では、三重県子ども条例に基づき、子ども専用電話相談『こどもほっとダイヤル』を開設しました。子どもの声を受け止め、子どもとともに状況や気持ちを整理しながら子ども主体の解決方法を考えます。専門的な対応が必要な場合は関係機関につなぐことができます。2016年度は、875件の電話を受け、児童相談センターに2件繋ぎました。子どもの名前や住所を聞いて特定するまでは至っていませんが、いじめや虐待を訴える電話3件を三重県の健康福祉部と共有しました。